【惜別企画連載】ありがとう、鉄道模型。~その1 鉄道模型との出会いと発展~

このサイトでは
アフィリエイト広告を表示しております。
ご了承の上、お読みください。 
▶詳しくはこちら

みずにゃん

どうも、みずにゃんです。

去年鉄道模型から撤退するとの記事を書いて、その最後に惜別企画記事を書く予定だと記載していたのですが、まだ書けていませんでした。
今回、5月末までの短期集中連載で、これまでの鉄道模型ライフを振り返っていきたいと思います。

2012年 Nゲージとの邂逅

僕が鉄道模型を始めたきっかけは、当時出入りしていた2ちゃんねるのとあるスレッド(鉄道板ではない違うジャンルの板)で鉄道の話になって、「実車は高すぎて買えないよね・・・」と投稿した人がいるのですが、それに僕が「模型やったらどれだけでも買えるよね!」とレスしてしまったのがはじまりでした。
2012年の夏、高校3年生。甘酸っぱい青春などなく、友達も少なく、常に学校や親から大学受験を意識させられていた当時、息抜きできる趣味が欲しかったのかもしれないな、と今では思うのです。

そもそも物心ついた頃からずっと乗り物が好きで、かつミニチュアにも嗜好があった(変身ベルトよりもシルバニアファミリーが欲しかったくらいです)僕にとって、鉄道模型というものは、当時の僕の嗜好がすべて詰まった世界だったのかもしれません。

トヨタ博物館にて(1998年撮影・実家アルバムより)
トヨタ博物館にある模型を眺める小さい頃の僕(実家アルバムより)

自分の好きな鉄道車両をいつでも手元に置けていつでも走らせることができることに強い魅力を感じるようになり、近くの鉄道模型取扱店を調べ、大須のキッズランドへ足を運んで買いに行ったものです。低予算からのスタートなので鉄コレ、Bトレも含めて地元の鉄道事業者の車両が中心でした。キッズランドだけでなく中古通販も毎日くまなくサーチして、短編成ものを中心に揃えていきました。
モデモの313系がキッズランドで在庫処分になっていたときはすかさず買いましたね。

始めた頃の写真。鉄コレの愛環2000系とBトレ名古屋市交通局2000形
Bトレ名古屋市交通局2000形
中古で購入したKATOの313系3000番台
完成品を集めるだけでなく、キットの組み立てにも積極的にチャレンジした

始めたときから自室にレイアウトを作ることを夢見ていて、KATOのレールとパワーパックを揃えてオーバルを組めるまではしました(資金難で断念)

この年の秋、大須にあるグリーンマックス・ザ・ストアに、小柄ながらレンタルレイアウトがオープン。一番乗りして走らせに行きました。一方で郊外のレンタルレイアウトが閉店すると聞いて、塾帰りで時間を作って訪問したこともありました。

2012年当時のグリーンマックス・ザ・ストアのレイアウト。現在とは違うジオラマだ
閉店間際だったレンタルレイアウトにて

2013年 苦難を乗り越えて

2013年は関東関西のJR車両を中心に、地元外の車両が増えていきます。まだこの頃はフル編成を揃えることができず、正月に購入したE233系3000番台も5両の付属編成でした。当時は異種の車両同士が連結するフリーランスな編成での走行も多かったです。

IMON大井町店にて
現実ではありえない異種系列での組み合わせも多かった(IMON大井町店にて)

大学に進学し、迷うことなくサークルは鉄道研究会を選択。GWにはその鉄研が毎年恒例で参加していた丸栄の鉄道模型展に僕も従事することになり、大学レイアウトで自分の車両が走ったり(ちょうど愛環2000系が発売になりファーストランが大学レイアウトに)、KATOのブース(普段ホビセン東京にあるあのレイアウト)を担当することができたのはとても貴重な体験でした。

大学のレイアウトを走行するC56 160 このC56は実車があおなみ線を試験走行した日にその足で買ったものだ

しかし、夏にいろいろとゴタゴタがあり、鉄研から降りることにしたのです。このときの悔しさと反省が、翌年に自ら設立する新サークルへと繋がっていくのです。

個人的な趣味としての鉄道模型はそのまま継続することにしました。夏にはKATOのブランド・ラウンドハウスから出ていた「E233系みどりの山手線」を秋葉原のタムタムで購入。これが自身初の首都圏のフル編成になり、2019年途中までは自身最高額購入のNゲージになりました。

みどりの山手線は初の長編成ものに(ポポンデッタ秋葉原店にて)

この年、名古屋市北区の黒川にレンタルレイアウト店「宮崎模型」がオープン。数年間、行きつけのレンタルレイアウトになりました。

その後廃業となり、レイアウトは長良川鉄道関駅へ移され長良川鉄道直営のレンタルレイアウトとして現存しています

2014年 新サークルの設立と発展

年が明けてすぐ、大学の同期と共同で新サークル「模型・アニメ同好会」を設立。大学に漫研はあってもアニメ研究会のような”観る側メイン”のサークルがなかったのが直接のきっかけ。しかし、僕はアニメだけでなく「模型」の要素も加えました。この新サークルで鉄道模型活動を行えるようにするためでしたが、ガンプラ等も触りやすくなるのでプラスの要素だったんです。

新サークルには当初8人が入会し、春には新入生の加入もあり、20~30人規模に。大学祭に制作したNゲージを各部員が展示してするほどになりました。

この年は地元車両はもちろんのこと、地元外の車両の増備がさらに進み、京阪大津線の車両たちや三陸鉄道の気動車などが主として増えていきました。

宮崎模型にて
Bトレも順調に増えていった(宮崎模型にて)
鉄コレ17弾以降、京阪大津線の車両を増備していった。秋にはマイクロエースから800系が発売され、これも購入した。写真の真ん中は自作のラッピング

今回は、鉄道模型をはじめてからの最初の3年間を振り返ってみました。今となっては考えられないような組み合わせで走らせたり、乗ったこともない車両を手に入れたり、という流れで拡大していきます。立ち上げから年月が経ち鉄道模型趣味は安定期をこれから迎えていきます。次回は、安定期を迎えるその後について語っていきたいと思います。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!

こちらもチェックしてみてください!