4月23日。今までおこちゃまだったうらにゃんも、ついに20歳になりました!もう大人です!20年間、本当に色々なことがあり、楽しいことや嬉しいこともあれば辛いことも悲しいこともありました。そんなうらにゃんの20年間の生い立ちを今日は紹介していきます。
2001年4月23日 うらにゃん誕生
私が生まれた日は春真っ只中の4月でした。両親と祖母に見守られながら生まれました。体重は覚えていませんが、生まれたときの写真を見ると少し普通の赤ちゃんよりもぽっちゃりした感じがしました。でも母は「健康に生まれてきてくれたから嬉しかった」と話していました。
私の名前の由来は、春に生まれた子にふさわしい、春のように穏やかで可愛らしい子に育ってほしいという意味があります。ちなみに私の名前はひらがなです。理由は、漢字だと難しいので覚えづらいということです。
しかし、そんな春の陽気のように穏やかな子ではありませんでした・・・w 次でわかります!w
うらにゃん 1歳
1歳頃になると簡単なおしゃべりができる歳。「ママ」や「わんわん」や「ぶーぶー」などのおしゃべりが思いつくでしょう。私が初めて喋った言葉は、飼っていた犬の名前ですwちなみにその犬の名前は、「ゴン太」よく喋れたなあって思いますwちなみに私はおしゃべりしたのは早かったそうです。
そして、私は晩年イヤイヤ期だったそう・・・泣いたら止まらない。夜泣きはひどいで両親を困らせていたそうです・・・
うらにゃん 2歳
2歳頃もイヤイヤ期の延長戦・・・w 何か気に入らないことがあると、ギャンギャン泣き、親も手のつけようがなかったみたいです・・・
そんな2歳のときは確か、ミッフィーのぬいぐるみがお気に入りで毎日出かけるときも持っていったそうです。イヤイヤ期の延長戦でもぬいぐるみがあれば泣き止んだのでしょうか。でも気に入りすぎて薄汚れちゃったとかw
うらにゃん 3歳
相変わらずのギャン泣きにイヤイヤ・・・そんな晩年イヤイヤ期はビデオを見せることで少しはおさまりました。アンパンマンやノンタンやディズニー等のビデオが大好きで、毎日のように見ていました。
私が3歳になったときには既に初代プリキュアが始まっていました。アニメも見ていましたし、食玩やガチャポンも持っていた記憶もあります。
うらにゃん 幼稚園年少組
4歳になり、うらにゃんは幼稚園に入園しました。しかし入園式は、仲良しの近所のお友達と同じ組になれなくてギャン泣き・・・しかし入園式以降はほとんど泣かずに登園することができました。クラスで仲良しのお友達もできました。
はじめてのお友達と一緒に遊ぶ楽しさ、はじめて沢山頑張った運動会、はじめて好き嫌いが少し減った給食、はじめてのお遊戯会ではなりたい役にはなれなかったけどやりきったお遊戯会・・・うらにゃんの「はじめて」が緊張と楽しみでいっぱいでした。
うらにゃん 幼稚園年中組
5歳。仲良しのお友達と同じクラスになり、毎日楽しい幼稚園生活を送っていました。その時は習い事として、お友達と英語塾と書写教室に通っていました。なので、ひらがなだけでなく、カタカナや簡単な漢字も読めるようになって親を驚かせていました。
年中さんのときのお遊戯会のときは少しショックなことが・・・演目は「3匹の子ぶた」豚と狼をグループでやる演劇です。私は長男ぶたの役のグループでした。長男の役は私と仲良しちゃんとクラスの男の子の3人でした。しかしお遊戯会の本番の日、私は高熱で休まざるを得なくなりました。もうひとりの男の子も風邪でお休み。すると仲良しちゃんは「私一人でやりたくない」と言って休んでしまい、長男なしの3匹の子ぶたに・・・(汗)まあそれはまだいい方なんですよ。何故かというと、年長でわかります!
うらにゃん 幼稚園年長組
6歳。もうすぐ小学生の年長さん。少しお姉さんな気分でいたいお年頃の女の子たちは、ママさんのマネをする子が増えていました。
そしてこの年は、うらにゃんの妹が生まれた年です。でも「お姉ちゃんになる」というプレッシャーを自分にかけすぎたせいか、赤ちゃん返りしちゃったこともありました。「ママが妹のものになっちゃう・・・」という思いもありました。
しかし、年長さんは苦くて頭から離れない思い出があります。それは、「お遊戯会 悪役事件」です。年長の頃のお遊戯会は「白雪姫」女の子のほとんどが白雪姫を候補していました。もちろん私もです。お遊戯会の役はくじ引きで決めることに。私は、リンゴ売りの魔女の役にされてしまいました・・・ しかしくじ引きなど無意味だという事につい最近気付きました。同じ幼稚園で働いていた母に聞きました「主役や目立つ役は明るい子やできる子にさせている。脇役はおとなしい子がほとんど」とのこと・・・私の思考では、母が幼稚園教諭だったことをいいことに悪役にさせたんだとおもいます。そうすればクレームが来ないだろうという思考かと。だからあの事件以来私はお姫様だと思いこんでしまったのです。フリフリの可愛い服ばかり着ているのもそういう理由です。
そして、うらにゃんは幼稚園を卒園。小学生になります。
うらにゃん 小学校低学年
体に大きな赤いランドセルを背負い、黄色の帽子をかぶって、小学校へ入学。よし!小学校を楽しもう!と思いました。
しかし、慣れない環境、人々などで戸惑い、辛くて泣いてしまうことも多かったです。いじめにだってあったこともありました。「自分は他人とは違う」と思ったのは小学校2年生頃だったと思います。
でも、私は私。少なからずだけど、友達と遊んだりして過ごしたり、勉強も頑張っていました。楽しいこともいっぱいあるってことに気づいたと思います。
うらにゃん 小学校高学年
10歳頃からは難しいお年頃に・・・勉強は難しいし、嫌いな先生が出てくるし、反抗的になるし、自分の見た目を気にするようになるし・・・いろんなお悩みでいっぱいでした。
難しいお年頃だからこそ好きな人や気になる人もでてきたし、隠したくなることだっていっぱいありました。それに、容姿が気になって母の化粧品使って怒られたことはなんかほろ苦い思い出だなって思いますw
6年生になるころ、楽しかった小学校ともお別れのカウントダウンが来ると寂しくなったこともありました。6年生のときは最後は笑顔いっぱいの思い出を作ろうと楽しいことをいっぱいしました。
そして小学校卒業。次は波乱の中学生活・・・!?
うらにゃん 中学生
少しダボッとしたセーラー服にちょっと長すぎる感じのする丈のスカートは、これから青春していく新米中学生!そのうらにゃんの姿はまさに、今の彼氏にはたまらないw しかしその中学校生活が波乱の中学生活になるなんて・・・
中学生は勉強がメインになるため、休み時間は短いし予習はしなきゃいけないし、校則厳しくておしゃれできないしで私には不向きな環境だったと言えます。不向きな環境であったためついには不登校になってしまいました・・・小さい頃よりも泣く回数が増え、駄々っ子になったり・・・学校が大嫌いになるほどでした。
成績は下がる、人間関係が上手くいかないで私は二次元オタクという道に進みました。何か悲しいことがあったら二次元のイケメンに話しかける。二次元のイケメンと寝る。まさにその姿はオタクそのものでした。
学校なんてくそくらえという気持ちで定時制の学校に受験合格、中学を卒業しました。
うらにゃん 高校生
カッターシャツに青色のリボン、ピンクのワンサイズ上のカーディガンで萌え袖、これまでかってくらいに短くしたスカートはまさにJK!
それはいいんですけど・・・私の学校は色んな年齢の人が入学するし、大人がほとんど・・・マジで馴染めませんでした。2年生で高校を中退・・・
その頃の私は、トンデモ彼氏と付き合っていて精神マジ狂っていました。もちろん別れましたけどね。
うらにゃん 18歳
朝から何もせずダラダラしてるだけの18歳のクソニートがここにいました・・・
バイトはもう懲り懲り、学校は惨めでその頃に付き合っていた彼氏も頑固親父みたいで(もちろん別れました)フリースクールにも週1くらい通ってましたけど、ほぼニートでした。
しかし、うらにゃんが精神障害ということにこの頃気付きました。今までのことはほとんど障害のせいということが分かりました。そして、脱・ニートになることになりました。
うらにゃん 19歳 今の彼ぴと出会う
「今日からよろしくお願いします!」19歳になる3ヶ月前に現在の職場に入った。緊張だらけだった。最初は上手くいかなかったことも他人の助けで上手く頑張れた。
そして現在の彼ぴーと繋がったキッカケが・・・
「・・・可愛い!!!」
一つのぬいぐるみ。イーブイ。彼ぴを気になるようになったのはいつだっけな(*´艸`*)そして19歳の8月21日に告ったんだ。
あれから毎日が幸せで毎日が充実している日になった。彼ぴのおかげ(*´艸`*)ありがとう♡
うらにゃん 現在
20歳。子供だった私も大人。泣き虫だった私がすっかり大人になった。生んでくれた母に感謝。育ててくれた親に感謝。そして、支えてくれた沢山の人に感謝。
うらにゃん 20歳の抱負
大人として責任感のある行動をする。大人という自覚を持つ。それが20歳の抱負です。
なすのぞみずほより
本当に成人のときを真横で見れて、僕はとっても嬉しいです。
これからも、楽しい思い出を僕とシェアできたらいいな。お酒も飲めるようになって、楽しみもこれから増えていくはず。二人で、これからも歩んでいこう。
最後に、一言言わせてください。
うらにゃん、お誕生日おめでとう!愛してるよ♡